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こんちゅうクンは、なぜ昆虫が好きなのか?

「小さい頃から昆虫が好きだったんですか?」

昆虫館で働いていると、よく聞かれる質問の一つです。
答えはもちろん「物心ついた頃から虫が好きでした」なのですが、
深くがっつりと虫が好きになったのには、大きなきっかけがありました。
それが、小学校6年生の時に出会った理科の先生です。

昆虫が好きで、昆虫館に就職し、”こんちゅうクン”という変なキャラクターにまでなってしまったわけですが、
その先生がいなければ絶対に今の僕はなかったと断言できます。

今回は、僕“こんちゅうクン”が昆虫をがっつり好きになったきっかけである“先生”とのエピソードを紹介させていただき、
小学生の僕を夢中にさせた昆虫の魅力とは何だったのか、
僕にとっての“先生”とはどんな存在だったのか、

などについて、自問自答しながら書いてみます。

エピソード① 〜先生と僕とドングリ〜

先生は昆虫だけでなく、理科や自然について幅広く詳しい先生でした。
僕たちが何かを見つけて持っていくと、
「おおっ!」っといつも驚いたそぶりを見せながら、その生き物や自然物についての名前や特徴を教えてくれました。

例えばこれ。

近所にいちばん多かったドングリ

普通のよく見るドングリなのですが、先生にはこう言われました。

「おおっ!これは『マテバシイ』だね。

これが当時、僕にとってはけっこうな衝撃でした。

「えっ、、『ドングリ』じゃないの!?」

「ドングリ」にもいろいろな種類があり、それぞれに名前(種名)があることを知りました。
そして、当然のようにその日からドングリ拾いがスタート。
近所で採れたのはマテバシイ、スタジイ、アラカシぐらい。
クヌギ、コナラ、シラカシ、クリなど、ちょっと変わったドングリを友達が見つけてくると羨ましく思ったものです。

またある時には、集めたドングリの中になんかムニュっと伸びているものがあることを発見。
早速先生に報告すると、

「おおっ!出てきたか。そこから木になるから。植木鉢で育ててみなさい。」

的なことを言われたので、即実行。

自宅のベランダでクヌギのドングリの発根したやつを植木鉢に植え付け、いくつか苗が育ってきました。

「おおっ!広いところに植えるともっと大きくなるんだけどね」

的なことを言われたので、即実行。

おばあちゃんの家の畑の隅に植えさせてもらうことにしました。
自分の家じゃないから、週に1回行くかどうか。
だから、世話も自分でしてない。笑
だけど、行く度に大きくなっていくクヌギの木をワクワクしながら眺めていたのは覚えています。

やがて中学、高校を卒業し、大学に進学して一人暮らしを始めた頃、
実家からクヌギのドングリが送られてきました。

「あなたの植えたクヌギの木から、初めてドングリが採れました」

おばあちゃんの家の畑。一番高い木がそのクヌギの木。写真は数年前のもので、畑仕事をしているのが生前のおばあちゃんです。

今でもおばあちゃんの家には大きなクヌギの木がそびえ立っています。
つい先日もおばあちゃんの三回忌の時に見てきまして、
親戚の子どもたちと一緒に、この木の根本でコクワガタを見つけたところです。

おばあちゃんの家でとれたコクワガタ

他にも「雑草」や「石ころ」や「星」の中に、『スズメノカタビラ』や『点紋片岩』や『ベテルギウス』があることを先生から教えてもらい、理科や自然にハマった1年となりました。

エピソード② 〜先生と僕とカネタタキ〜

先生からはいろいろなことを教わりましたが、その中でも特にのめり込んでいったのが「昆虫」でした。

ある日、小学校の職員玄関のすぐ外ででかい捕虫網を持ってうろつく先生を発見。
何をしているのか聞くと

「カネタタキをとっているんだよ。」

的なことを言われたので、即参加。

カネタタキ

カネタタキとは秋の鳴く虫の一つで、体長1cm前後の小さな昆虫。
生垣や低木の枝なんかにいて、耳をすませると「チン チン」と小さな鳴き声が聞こえます。
先生は枝をゆさゆさとゆすり、落ちてくるカネタタキを網で見事に採集していきました。

毎日通っていた場所なのに、こんな虫が隠れていたのか!
なんだか隠し財宝のありかを教えてもらったような気分でした。

そして、その日から別の場所でもカネタタキの声が聞こえてくるようになったんですよね。
学校の帰り道、公園、自宅の周りなど、それまで全く気がつくことのなかった小さな虫の存在を感じられるようになりました。

当時の僕たちが登校したり、遊んだりする日常の空間は大して広くはないのですが、
そこにいる生き物の名前を知り、目を凝らし、耳をすましてその存在を感じ、知ることでどんどん世界が広がっていくような感覚がありました。
知れば知るほどいろんな虫の存在に気がつき、日常の景色の解像度が上がって、これまでとはまた違った景色に見えていく感じ。

「昆虫の魅力はなんですか?」

僕が「身近さです!」と即答するのは、このような体験がたくさんあったからです。

エピソード③ 〜先生と僕とアオスジアゲハ〜

登校中、小学校の運動場の南側の謎のスペース(昔は謎のスペースや空き地がいっぱいありましたよね)で、切り株から新芽がいくつも伸びているような場所があり、そこに見慣れないイモムシを何匹も発見しました。
捕まえて先生のもとへ持っていくと、

「おおっ!これはアオスジアゲハの幼虫。同じタブノキの葉っぱで飼ってごらん。」

的なことを言われたので、即実行。

タブノキにいたアオスジアゲハの幼虫

『タブノキ』という木の葉っぱに『アオスジアゲハ』というチョウの幼虫がついていたらしい。
その日から毎日観察し、タブノキの葉っぱを与え、無事蛹まで育ちました。
あとはただ、毎日成虫のチョウが羽化して出てくるのを楽しみに待つのみ。

アオスジアゲハの成虫

ところが、何日経っても全然チョウが出てきません。
死んでしまったのだろうとあきらめ、虫カゴも放置していたのですが
ある日、その虫カゴの中を1匹のハチが飛び回っていることに気がつきました。

改めて先生のもとへ持っていくと、
それまでに言われたことのない、そして、いまだに忘れることのできない
とても嬉しい一言を先生から言われました。

それが、

「くれ」

2文字。
これがめちゃくちゃ嬉しかった。

どうやらアオスジアゲハの幼虫の体にすでに産み付けられていた寄生蜂の幼虫が、アオスジアゲハの体内を食べ尽くし、蛹の殻を食い破って出てきたようでした。
その寄生蜂の種類を先生がわからず、調べるための「くれ」。
「もらっていい?」とかじゃなくて「くれ」という遠慮のない感じが、本当に欲しそうだった!笑
(結局その後どうなったのかは覚えていないのですが、おそらくアゲハヒメバチだったんじゃないかと予想しています)

これの何がそんなに嬉しかったのか。

たぶん、先生に初めて「与える」ことができたからだったんじゃないかと思います。
先生がいつもなんでも教えてくれて、僕は与えられるばかりだった。
でも、今回は僕が与える側に立つことができた。
幼い優越感がなかったわけではないですが、その時は先生に貢献できたことに大きな喜びを感じていました。

よくよく思い返してみると、僕が先生の元に何か持っていったり見せたりすると必ず「おおっ!」と驚いてくれてたんですよね。
僕のたわいもない発見や報告を、毎回とにかく受け取ってくれた。
これが僕はいつもとても嬉しかったです。

子どもからしたら、何かを「与えられる」ことも嬉しいかもしれませんが
それと同じくらい、もしかしたらそれ以上に
誰かに何かを「与える」ことにも喜びを感じるものなんだと気がつきました。


先生はたくさんのことを与えてくれた一方で、たくさんのことを受け取ってくれていました。
気づいたのは大人になってからですが。
当時はなーんも考えてませんでした。笑

こんなことを今書きながら、僕は子どもたちの発見や報告をちゃんと受け取ることができているだろうかと不安になってきました。
子どもたちに虫のことを伝える仕事ですが、同時に子どもたちからちゃんと受け取っていきたいと思います。

ということで子どもたちよ、なんかあったら教えてね。

おわりに 〜学びのドーナッツ論〜

とりとめもなく書き連ねていたらまた長くなってしまって、ここまで読んでくれている人がいるのか不安になってきたし(ここまで読んでくれたあなた!ありがとうございます!)、
実はこの原稿の締切もすでに過ぎていて、編集長に怒られないかも心配です。

でも、最後にもうちょっとだけお許しを。

教育において『学びのドーナッツ論』というものがあります。

「学び手(I)が外界(THEY世界)の認識を広げ、深めていくときに、必然的に二人称世界(YOU世界)との関わりを経由するとしたもの」

(佐伯 1995)

この「I」、「YOU」、「THEY」の関係を図式化したものが

学びのドーナッツ。佐伯(1995)より作成。

この形がドーナッツ型なので『学びのドーナッツ論』と名付けられました。

「I」と「YOU」と「THEY」については以下のような説明が続きます。

「自我=Iが、第二の自我を育てる二人称的他者と交流する世界がYOU世界である。THEY世界というのは、匿名性をもつ三人称世界であり、現実の社会・文化的実践の場である。」

(佐伯 1995)

多くの場合、「I」が子ども、「YOU」が先生や教材、「THEY」が社会・学問・文化などと想定され、
子ども「I」が外の世界「THEY」を知り、学んでいく時には、その子どもの教師や友人「YOU」による共感的な関わりが必要とされます。

特にここでは、
「YOU」となる教師や先生が、
子ども「I」との接点(第一接面)だけでなく、
外界「THEY」』との接点(第二接面)ももつことがポイント。

子どもとの関わりだけを重視するのではなく、
子どもを導いていく先となる外の世界を背中に背負い、
両者をつなぐ役割を果たさなければならない
と。
(そう、僕は解釈しております。間違っていたらすみません!気になる方は『学びのドーナッツ論』調べてみてください。)

あなたも何かの世界について興味を持ち、深く入り込んで行った際に、
そのきっかけとなるような恩師、友人、親などの人、もしくは本や映画、何かしらの体験など、あなたに影響を与えた「YOU」的な存在があったのではないでしょうか。

僕がすぐに思い出したのは、もちろん小学校の時のあの“先生”です。

まさに僕(I)は先生(YOU)との関わりによって、自然や昆虫の世界(THEY)へと接続してもらいました。

Iが僕、YOUが先生、THEYが昆虫。僕は先生を通じて、昆虫の世界に接続した。

それが価値のある得難い経験であるということを、お恥ずかしながら20年以上もの時を経てようやく知ることとなりました。
(先生、今さらですしこんなところで大変恐縮ではありますが、本当にありがとうございました。)

次は僕の番です。

子どもたちや来園された方「I」にとって
僕やこの昆虫館が「YOU」として関わり合いながら、
魅力あふれる昆虫の世界「THEY」へと接続する架け橋のような存在になれたら
いや、ならなくてはなりませぬ。

そしていつか、
僕たちの関わった「I」が、次世代にとっての「YOU」となってくれることを楽しみにしています。

引用文献
 佐伯胖, 1995. 「学ぶ」ということの意味. 岩波書店

参考文献
 阿部学, 2012. 「学びのドーナッツ」は実践に活かされたか―理論と実践との乖離に関する一考察―. 授業実践開発研究, 5:43-51
 北川尚史・伊藤ふくお, 2007. どんぐりの図鑑. トンボ出版
 奥山風太郎, 2016. 鳴く虫ハンドブック. 文一総合出版

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